2025-08-02

正論モンスターはなぜダメなのか

私はいわゆる「正論モンスター」がとても苦手なのだが(そして苦手な人が大多数だと思うのだが)なぜダメなのか、どうするべきなのか駄文を書く。

理由1: 正論を言うだけでは何も変わらない

正論をストレートに言えば、周りに思いが伝わって勝手に状況が改善されるのかというと全くそんなことはない。むしろ「そんなことはわかっているけどできないんだよ」といった感じで反感を買ってしまったり、それによって協力を得られづらい状況になることがほとんどだろう。

そもそも組織や文化によっては、その正論が本当に正しいのかすら怪しい。仮に正しかったとしても、その理想状態を作っていくためには「自分で手をちゃんと動かして少しずつ改善する」とか「人を巻き込んで仕組みを変えていく」ことが大事なのかなと思っている。

正論だけではなく次のアクションや巻き込みに対する言葉が無いと何も変わらない。

理由2: 正論を言うだけではリスペクトに欠ける

「正論モンスター」と「正論を言うけどちゃんと物事を動かしてくれる人」の大きな違いの1つに周りへの配慮・リスペクトが見えるかどうかというのがある。

今そこでパッションを持って働いている人がいることに対して配慮が足りていないのはあまり好きではない。楽しく働けて、それでいて厳しさもあり成長し合える環境が望ましいのに、リスペクトが欠けてしまうと居心地は良くないだろう。実情はどうであれ、正論を投げ捨てるだけの人は単純に自分の憂さ晴らしをしたいだけのように思えてしまう。

また、歴史的経緯や組織的状況など様々な要因があるはずなのに、それに対する配慮が欠けていると残念な気持ちになってしまう。チームにジョインした直後など、心理的安全とはいえハレーションが起きやすい状況においては、リスペクトを感じさせる言動や態度が大事だと思う。

ではどうすればよいのか?

自分が新しいチームに入って、ペインや改善点を見つけたとき

みたいな感じで 提案 をしつつ 責任 を自分に向けるようにしている。 慣れてきたら 責任 をチームで分担する形にするが、ずっと自分でやっても良いなという心持ちではいる。

これを例えば「テストや静的解析が無くてレガシーですね」とか「振り返りやらないとかダメじゃないですか?」という感じで正論を投げ捨ててしまうのは絶対に良くないパターン。それに対してどう改善したいか、どう動くのかが明示されていないと誰も動かないし、言い方にリスペクトがないと正しかったとしても人は動かない。人は論理ではなく感情で動く。

また、「言い出しっぺがそのタスクをやるのは嫌」という意見があると違和感がある。「言い出しっぺこそそのタスクをやるべき」だし「言い出しっぺだからこそ成長できる」とも言える。


とまぁ偉そうなことを言っているが自分が20代の頃は「正論モンスター」だったときもあるし、今も意図せずリスペクトを欠いた発言をしているかもしれない。「正論モンスター」にならないために少し控えめになってしまっている部分もあるかもしれない。